ADR考(6)の2

(司法型ADRのレーゾン・デートルと課題)

 司法型ADRは、紛争解決にあたって、裁判と同様に「法化社会」の実現にとって有力な武器の一つではある。しかし、紛争解決にとって汎用性があり、かつ権力性を帯有しているために、そのあり方に対し、特段の事情のない限り、透明性、公平性、謙抑性が強く要求されるというべきである。

 司法型ADRの隆盛は、和田教授も指摘するように、従来からの地域共同体的メカニズムの下支えに起因していると思われる。また、早川教授の指摘する「ADR手続の柔軟化は非権力的紛争解決システムだから可能である」との見解から、現代的司法型ADRの存在意義は、当事者の真の合意による手続の柔軟化にあると考えられる。

 司法型ADRでは、和田教授の指摘する日常性ニーズに応答的な理念型ADRの構築は困難なように思える。

 なぜなら、司法型ADRは未来志向性かつ全人格型の紛争解決を直接目指すべきものでなく、法化社会実現に向けての単なる「紛争処理」に終始しているからである。紛争処理の効率性が重視されるからである。また、法的紛争解決という大命題もその前提にある。

 司法型ADRは、「キュア」を目的とするものであり、「ケア」ではないから。

 そうすると、日常性ニーズの需要に応答する理念型ADR(キュアの重視を含む)を実現するためには、今後の非司法型ADRの隆盛に期待するしかないように思える。

 司法型ADRは、その存在意義が裁判と密接不可分に関わり、権力性を帯有しているがために今日的な社会状況(社会経済の急激な変化)に対し、市民応答的であるかについて疑問である。従来は狙上にあまり上らなかった問題(地域社会のメカニズムにより抑えられていた日常的・些細な紛争、又は放置しても特段社会問題化されなかったような苦情等)にも直接かつ十分向き合うという対応としての紛争処理に、未だ不十分と言わざるを得ない。

 権力的な上からの目線でなく、従来とは真逆の、如何に市民目線で、かつ下からの司法型ADRの再構築ができるかが今後の課題となろう。形だけやっていれば、又、市民のために一生懸命やっているポーズをとっていれば済まされられる時代状況にないのが、昨今の厳しい法社会状況ではないだろうか。

 和田・早川両教授のADRに対する提言を如何に司法型ADRに採り入れ、反映できるかが重要なキーポイントになりそうである。

 そして、それへの模索の一歩に、吉田勇教授の主張する、共存形態としての司法型ADRの調停技法を実施する対話促進型調停部門を裁判所に設けて定着させることも考えられよう(注6)。

(注6)
吉田勇「日本社会に対話促進型調停を定着させる二つの試み(二)」熊本法学118号
熊本大学法学会、2009年10月)163頁以下

 

(おわりに)

 家族等を含めた地域社会共同体の崩壊が進行し、事後調整社会の中にある現代において、ADR法が制定されたとはいえ、現在も未だその制度利用は不十分である。そうすると、司法型ADRの果たす役割は今後も少なくないと言えよう。

 できれば、法的限界事例紛争に即応し、日常性ニーズに十分応答的な新ADR制度の実現を望まざるを得ない。

 なお、司法型ADRには、民事・家事・労働調停、即決和解、訴訟上の和解があるが、本文では調停を主体として論じて来た。というのも、調停以外の司法型ADRは、多少のバリュエーションがあるものの、裁判所の主体的関与が色濃いから。

                                     以上