ADR考(5)


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 梅雨に入ったというのに、晴れたり、曇ったり、時に雨だったりと不安定な天候状態が続くこの頃だ。今日は晴天で、風があるせいか、日は侃侃と照っているのに、比較的過ごしやすい日である。

 冒頭記事にもあるように、昨今、有名人(政治家)又はメディア企業からの名誉棄損関連の民事訴訟事件が散見される。

 同記事の内容にもあるように、「これまでの伝統的な弁護士スタイル・セオリーである、(1)内容証明郵便で要求を伝える、(2)交渉を開始する、(3)訴訟を提起するという流れが、最初から訴訟を提起する。その後の解決は、裁判所の中で考えて決める」、という作戦に転換・増加しているのことである。

 訴えられる相手方(被告)からしては、警告なく、いきなり突然に裁判所に訴えられるものゆえ、「訴権の濫用」「スラップ訴訟」として憤ることは無理もないことであろう。

 しかし、悲しいかな、「訴権の濫用・スラップ訴訟」と批判しても「昔流の礼儀」等の道義上?の問題が残るだけであろう。その道義如何について、現代のSNS拡散力による害悪は、引き戻しが困難で、昔と比べ物がないほどのものになっているのも事実である。結局は裁判所の判断によるしかないのか。

 逆に言えば、裁判所の判断がスラップと認定されれば、反対に損害賠償が容認され、返り討ちとなり得るのだ。

 ADRの存在意義は、まさに上記(2)の「交渉」部分にある。

 

(司法型調停における手続規制)

 訴訟上の和解(民訴法264条〜267条、89条)について、和解裁判官と判決裁判官が同一であることを前提として、次の3点が指摘されている。

❶間接強制の契機の付着

❷和解が失敗した場合の判決に与える影響などを考慮して、当事者に対し十分な情報提供(本人立会いを原則として、すべての手続過程に両当事者が関与する機会を与えることが不可欠)をして、真正な合意を確保すべし旨の見解

❸強制的性格を払拭するために、裁判官の和解案の提示に付き、当事者に心証開示請求権を与えるのが適切であるとする見解

 それでは、この理が調停に当て嵌まるだろうか。この点、草野芳郎判事は、「和解には強制的要素を無視できないから手続規制が要求されるが、調停は判決手続でないのでもっと自由にやっていいのではないか」との実感を述べている(井上治典外1名編「現代調停の技法」判例タイムズ社、1999年9月27日・9頁)

 しかし、職権調停(付調停・民事調停法20条1項等)や調停主任裁判官と判決裁判官が分離されていない中小規模裁判所においては、和解と同様な問題が生じ得ると思われる(評価型調停が裁判実務ゆえ)。

 そこで、以上の問題を払拭する意味で、従来の別席(交互方式)調停に代わり、同席調停を試みる調停実例も見られた。

 同席調停にしても、これまでの経緯上、内向し膨らんだ当事者間のわだかまりがもたらす突如として起こる暴発による収集困難な問題、さらに特に離婚事件につき、相手方と顔を合わせたくないという当事者感情を無視して、無理やりに同席させるのが適切なのか、疑問視される向きもないわけではない(注5)。

(注5)

早川吉尚外編著「ADRの基本的視座」(ADR法立法論議と自律的紛争処理志向)不磨書房、2004年7月30日・263頁は、「中村芳彦弁護士がADRの手続規律について、手続の信頼性の問題と捉え、『信頼性とは公正・適格といった、いわば権威としての信頼性よりも、制度利用者にとっての利用のしやすさ、親切、わかりやすさ、自主性の尊重、納得といった点が、利用者にとっての信頼の基盤ではなかろうか。』と述べ、手続規律の法制化は必要ではなく、ガイドライン的なものを作るにとどめて、調停関与者らの改善によった方がよい」としている。

 

(次回に続く)